はじめに─デジタル時代の書く力の問題
Table of Contents
−- はじめに─デジタル時代の書く力の問題
- 研究の背景と問題意識
- 研究の設計と実施の工夫
- 研究の結果─期待と現実のズレ
- なぜ自動フィードバックは効果を示さなかったのか─三つの考察
- 一つ目は、英語力の低さそのものが障壁になったという指摘です。 学生たちの英語レベルが低いということは、フィードバック自体が英語で書かれているという事実が、大きな問題になる可能性があります。フィードバックを理解することは、それを活用することの前提条件です。理解できなければ、いくら正確で有用なアドバイスであっても、意味をなさないのです。これは教育心理学のなかで「最近接領域(Zone of Proximal Development、ZPD)」という概念と関わっています。Vygotsky という心理学者は、子どもが学べるのは、今の自分の力でできることと、大人の助けを借りてできることの間の領域だと述べました。言い換えれば、難しすぎてもダメだし、簡単すぎてもダメだということです。Grammarlyのフィードバックが、学生たちのZPDの外にあった可能性があります。 二つ目は、不慣れさと設計上の使いやすさの問題です。 中国の学生たちが普段から使っているのは、「Pigai」という、フィードバックが中国語で提供されるシステムです。Grammarlyは全く異なるインターフェースを持っています。ある学生は「Grammarlyは二回しか使っていないし、どんな種類のフィードバックがあるかもよく知らない」とコメントしています。別の学生は「スマートフォンにはGrammarlyの専用キーボードがなく、使いにくい」と述べています。さらに、インターネット接続の問題も指摘されました。こうした使いやすさの問題が、学生たちの動機づけを低下させ、結果として活用が進まなかったのではないかと考えられます。教育工学の研究では、学習支援システムの使いやすさが、実際の利用と効果に大きく影響することが報告されています。 三つ目は、学生たちの注意が向いていないという指摘です。 アンケート結果から、多くの学生がGrammarlyのフィードバックを、本当には役に立たないと思っていた可能性が浮かび上がります。心理学の研究によれば、学習者が新しい情報に注意を向けなければ、たとえそれが利用可能でも学習には繋がりません。これは言語獲得の研究でも確認されている原則です。学生たちが「このフィードバックは本当に私の役に立つのか」と疑問を感じていれば、その情報に対して十分な認識的な努力を払わない可能性があります。 研究の強み─複眼的なアプローチ
- 研究の制限と改善の余地
- 一つ目の限界は、学生たちがフィードバックをどのように使ったか、という具体的なプロセスが記録されなかったという点です。 作文の最初と最後を比べることはできますが、その間に何が起こったのか、学生たちがどの部分を修正し、どの部分を無視したのか、といった詳細は分かりません。これが分かれば、より具体的な改善策が提案できたはずです。例えば、「思考を声に出しながら修正する」という手法(Think-Aloud Protocol)を使えば、学生たちがどのような思考プロセスで判断を下しているのか、より深く理解できるでしょう。 二つ目の限界は、個人差の要因が十分に探究されなかったことです。 学習動機、ワーキングメモリ(脳の短期的な処理能力)、自信度、といった個人の特性は、フィードバックの活用に大きく影響するはずです。もし研究がこうした要因を測定していれば、「なぜこの学生は効果を示し、あの学生は効果を示さなかったのか」という問いに、より詳しく答えられたでしょう。 三つ目の限界は、対象が一つの大学、一つの英語レベルの学生だけだったという点です。 中国の様々な地域、様々な大学、様々なレベルの学生を対象にした研究があれば、結果がどこまで一般化できるのか、より明確になります。また、この研究では小論文だけを扱いましたが、メール、要約、物語といった他の文章形式では、異なる結果が得られるかもしれません。 教育実践への示唆─ツールは万能ではない
- まず、自動フィードバックツールを導入すれば、自動的に学生の学習が改善するわけではない、という点です。 特に英語レベルが低い学生にとって、このツールは支援というより、むしろ新たな障壁になってしまう可能性さえあります。したがって、導入する際には、十分な検討と準備が必要です。もし導入するなら、学生たちの母語でフィードバックが提供されるオプションを選ぶとか、使い方についての詳しい指導を行うとか、そうした配慮が不可欠です。 次に、学生たちの修正プロセスをサポートするには、先生の関与がやはり重要だという点です。 自動フィードバックだけに任せるのではなく、先生が学生たちの修正過程を観察し、個別にサポートを行うことが効果を高める可能性があります。クラスのサイズが小さければ、一対一の相談を行うのも良いでしょう。また、学生たちに何度も修正させることで、フィードバックへのエンゲージメント(関与)を高めることもできるかもしれません。 さらに、学生たちの「価値観」を変えることの大切さが浮かび上がります。 学生たちからのコメントを見ると、大多数が文法や語彙といった「表面的な」要素に焦点を当てています。しかし良い文章を書くには、内容の深さ、組織の明確さ、論理的な構成といった、より高度な側面も大切です。先生たちは、学生たちにそうした高度な側面の重要性を理解させ、自動フィードバックの役割の限界を認識させる必要があります。 視点の拡張─テクノロジーが教育に与える影響
- 結論─完璧さより、人間らしさを
スマートフォンやパソコンが生活の一部になった現在、英語の勉強方法も急速に変わっています。特に大学生にとって、英語の論文やレポートを書く際に、Grammarlyという自動添削ツールを使う人は増えています。これは人工知能を使って、文法やスペル、句読点の誤りを自動的に見つけて教えてくれるソフトウェアです。しかし、本当にこうしたツールは学生たちの英語力向上に役立つのでしょうか。そもそも学生たちはそうしたツールのアドバイスを理解し、活用できるのでしょうか。
中国のZunyi Medical University に所属する研究者Ning Fanは、この問いに真摯に向き合った研究を発表しています。彼女の論文Exploring the effects of automated written corrective feedback on EFL students’ writing quality: A mixed-methods studyは、2023年にSAGE Openという査読済みの学術誌に掲載されました。この研究は、単に「Grammarlyは効果があるか、ないか」という表面的な問いを超えて、なぜその答えが得られるのか、学生たちはどう感じるのか、まで掘り下げています。そこから見えてくるのは、テクノロジーと教育が出会う場所の複雑さです。
