「聞き取れない」の中身は、一つではない

英語が聞き取れない、という生徒の訴えを、私たちは長いあいだ一括りに扱ってきました。単語を知らないからだ、発音に慣れていないからだ、集中力が続かないからだ。原因をひとことで言い切って、対策もひとことで済ませる。速い音声に慣れさせる、単語を増やす、字幕付きの映像を見せる。どれも間違ってはいませんが、なぜそれが効くのか、どこまで効くのか、を突き詰めて考える機会は案外少なかったように思います。

本書は、その「なぜ」と「どこまで」を、海外の実証研究に一つひとつ尋ねてまわった記録です。取り上げたのは、音声知覚の個人差を扱った研究、語彙と聴解力の関係を数量的に測った研究、そして字幕や映像といった視覚情報が聴解にどう働きかけるかを検証した研究です。副題に掲げた「音声知覚・語彙・映像入力」は、聞く力という一つの現象を三つの窓から覗き込むための切り口にほかなりません。

三つの窓から見えてくるもの

最初の窓は、音そのものをどう処理しているかという窓です。イントネーションの聞き取りに共感性が関わるという意外な報告に始まり、母語の違いが崩れた発音の聞き取りにくさをどう左右するか、文字を見せることがかえって耳を鈍らせてしまう現象、そして訓練の回数や話者の人数が知覚学習にどう効くか。耳の性能を細かく分解していく研究群です。

二つめの窓は、語彙です。知っている語の音の形がどれだけ蓄えられているかが聴解力を決めるという知見、そして映像を理解するにはどれだけの語彙カバー率が要るのかを実測した研究。読むために必要な語彙と、聞くために必要な語彙は、同じようで同じではない。そのことが、数字によって具体的に示されます。

三つめの窓は、字幕や映像といった視覚情報の力です。字幕付き動画は本当に語彙を残すのか、読みながら聞くことは助けになるのかそれとも妨げになるのか、母語字幕と英語字幕をどう使い分ければよいのか。ここには一見矛盾するような結果も含まれています。矛盾こそが、単純な「字幕は良い/悪い」という議論を超えて、条件によって効果が変わることを教えてくれます。

終盤には、教師が映像教材を使わない理由を尋ねた調査、話し方の自信が聴解評価に及ぼす影響、そして「通じる英語」という概念そのものの定義の揺れや、聴解研究全体を計量的に見渡した二つの総説を置きました。個々の実験の外側から、この分野がどこに立っているかを眺め直すための章です。

各章の読み方

各章は、一本の論文を一つの物語として語り直したものです。研究の背景、実験の工夫、結果の意味、そして日本の英語教育への含意という順序で進みますが、どの章から読み始めても支障はありません。関心のある窓――音声知覚か、語彙か、映像入力か――から手に取っていただければと思います。専門用語には説明を添えましたので、統計や実験デザインに馴染みのない方にも読み進めていただけるはずです。

ただし、一つだけお願いしたいことがあります。ここで紹介する知見の多くは、特定の学習者集団、特定の言語対で得られた結果です。共感性が音声知覚を左右するという報告も、字幕が語彙学習を助けるという報告も、目の前の生徒にそのまま当てはまるとは限りません。研究が示すのは傾向であって、断定ではない。この留保を忘れずに読んでいただければ、本書はより正確に役立つはずです。

誰のための本か

本書は、中学・高校・大学で英語を教える方、聴解指導の理論的な裏づけを探している方、そして第二言語習得の研究に関心を持つ大学院生や研究者を念頭に置いて書きました。海外の学術誌に載った論文は、日本の教室からは遠い存在に見えるかもしれません。しかし、そこで問われている問いの多くは、私たちが教室で日々ぶつかっている疑問と、驚くほど重なっています。

聞く力とは、結局のところ何の力なのか。音を分析する力なのか、語彙という土台の広さなのか、それとも情報をどう浴びるかという環境の設計の問題なのか。本書を読み終えたとき、この問いに一つの答えが出るわけではありません。むしろ、答えが一つではないことが、はっきりと見えてくるはずです。それこそが、28本の研究を通じて本書が伝えたいことです。