英語を勉強してきたのに、ネイティブスピーカー以外の英語がまったく聞き取れない。そんな経験をしたことがある人は多いはずです。私自身、シンガポール人の同僚と初めて英語で会話したとき、単語ひとつひとつは知っているのに、全体として何を言っているのか掴めず愕然としたことがあります。これは決して珍しい体験ではありません。むしろ、英語学習者の多くが教科書的な「アメリカ英語」や「イギリス英語」の音声にしか触れてこなかったことの、当然の帰結だと言えるでしょう。この論文は、まさにその問題に真正面から取り組んだ実践研究です。
著者のNavarat Boonsamritpholは、タイのメーファールアン大学(Mae Fah Luang University)の英語専門能力開発プログラムに所属する研究者で、2022年に English Language Teaging 誌に発表したこの論文で、タイの大学生を対象に「World Englishes指導モデル」を実践し、その効果を検証しました。
世界の英語は一つではない、という前提
本論文の背景にあるのは、World Englishes(世界諸英語)という概念です。この分野の研究は、Braj Kachruが1985年に提唱した「三つの同心円モデル」―英語を母語とする内円(イギリス、アメリカなど)、植民地時代の名残で英語が公用語として定着した外円(フィリピン、シンガポール、インドなど)、そして英語が国際的なコミュニケーション手段として広がっている拡大円(タイ、中国、日本など)―を出発点としています。しかし著者は、この古典的なモデルが現実の英語使用の実態を十分に説明できていないと指摘し、より新しいYano(2009)の「円柱モデル」を採用しています。この円柱モデルは、様々な英語の変種を、音韻・語彙・文法の特徴が相互に移り変わっていく動的なプロセスとして捉える点に特徴があります。
なぜタイでこの研究が必要だったのか。著者は、タイの高等教育における英語カリキュラムが、世界中で話されている多様な英語変種への接触をほとんど含んでいない現状を問題視しています。ASEAN共同体の一員として、タイの学生は今後、アメリカ人やイギリス人だけでなく、インドネシア人、フィリピン人、中国人など、様々な母語を持つ人々と英語でやり取りする機会が急増すると予想されます。にもかかわらず、教室で学ぶ英語は「標準的」とされる特定の変種に偏っている。このギャップを埋めるための教育実践が、本研究の出発点です。
先行研究としては、Jenkins(2000)が提唱した「Lingua Franca Core」という概念が重要な理論的支柱になっています。これは、非母語話者同士が英語で意思疎通する際に、通じ合うために本当に重要な音韻的特徴は何かを整理したもので、子音の目録、子音連結の単純化、母音の長短の区別、そして文の強勢の置き方など、5つの要素が挙げられています。著者はこの枠組みを教材設計に応用し、中国英語、インドネシア英語、シンガポール英語、フィリピン英語という4つのASEAN圏の英語変種を教材に取り入れました。
