英語の教員研修や勉強会に出ると、必ずと言っていいほど話題になることがあります。「発音は訛っていてもいいから、まず話させましょう」という理念と、「でもテストは正しい発音で採点しないと」という現実の板挟みです。この板挟みは日本の英語教育現場だけの悩みではありません。インドネシアの大学で英語を教える教師たちも、まったく同じジレンマに直面していることを示した論文があります。Huda Miftahul Irham、Rina Sari、Zainur Rofiqの三名による “ELF and Multilingual Justice in English Language Teaching Practices: Voices from Indonesian English Lecturers” です。この論文は学術誌Asian Englishes(24巻3号、2022年、263-278ページ)に掲載され、著者版はベルギーのアントワープ大学の機関リポジトリに保存されています。今日はこの論文を、専門用語をできるだけ噛み砕きながら丁寧に読み解いていきます。
この論文が問うていること―「正しい英語」とは誰の英語か
まず研究の背景から確認しましょう。英語はもはやイギリスやアメリカといった「母語話者の国」だけのものではありません。ビジネス、政治、教育、あらゆる場面で、母語の異なる人同士が意思疎通のために英語を使っています。この状況を指して言語学の世界では「ELF」―English as a Lingua Franca、共通語としての英語―という概念が使われます。ELFという用語自体は1996年、Jennifer Jenkinsの博士課程セミナーでの発表がきっかけで広まったとされ、その後Barbara Seidlhofer、Anna Mauranenと合わせて、この三人が「ELF研究の生みの親」と呼ばれるようになりました。彼女たちの功績は、文法や発音、語彙の使い方において、母語話者の規範から外れているように見えるものを「間違い」ではなく「違い」として捉え直したことにあります。
一方で、こうした理念とは裏腹に、現実の英語教育の現場―とりわけ「南」と呼ばれる非英語圏の国々、インドネシアを含む地域―では、いまだにイギリス英語やアメリカ英語という「内円圏(Inner Circle)」の規範が教材や評価基準を支配しています。Braj Kachruが提唱した同心円モデルでは、英語を母語とする国々を内円圈、インドネシアのように英語が公用語や準公用語として使われる国を外円圏、そして日本のように英語を外国語として学ぶ国を拡大円圏と呼びます。この分類自体に議論の余地はあるものの、外円圏や拡大円圏の学習者が「本物の英語」を目指して学ばされてきた歴史は否定できません。この構図を批判してきたのが、Suresh CanagarajahやAlastair Pennycook、Robert Phillipsonといった批判的応用言語学の論者たちです。Phillipsonは「言語帝国主義」という強い言葉を使い、英語という言語資源の生産と理論化が内円圏の国々に握られている限り、英語教育はその支配や覇権から逃れられないと論じてきました。私自身、大学時代に英語のスピーキングテストで、文法も語彙も間違っていないのに「発音がネイティブっぽくない」という理由だけで評価を下げられた経験を持つ友人の話を聞いたことがあります。あの理不尽さは、まさにこの論文が扱っている問題そのものだと感じます。
こうした流れの中でAndy Kirkpatrickは2018年、ELFを実際の教室でどう扱うべきかについて具体的な原則を示しました。母語話者を言語的な目標にしないこと、母語話者の文化を到達目標の文化にしないこと、共通語としての英語が使われる環境こそが共通語話者にとって最良の学習環境であること、そして評価は共通語としての文脈に合わせて設計されるべきこと、という趣旨です。この論文は、このKirkpatrickの枠組みを分析の物差しとして使い、実際の教師がどこまでこの理想に近づけているのか、あるいは近づけずにいるのかを検証しました。
